東京地方裁判所 昭和29年(ワ)9228号 判決 1956年11月27日
原告
金子源三郎
被告
鶴田望 外一名
主文
被告らは原告に対し連帯して金三万円及びこれに対する昭和二十九年十月十日からその支払の済むまで年五分の割合による金員を支払うべし。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを五分し、その一を被告ら、その四を原告の負担とする。
この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は「被告らは原告に対し連帯して金五十万円及びこれに対する昭和二十九年十月十日からその支払の済むまで年五分の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決竝びに仮執行の宣言を求め、
請求の原因として、
一、被告両名の不法行為
原告は昭和二十一年から東京都新宿区にある保善高等学校の教諭兼会計主任を奉職し、主として夜間の勤務に服していた。しかして、原告は昭和二十六年十一月二十日午後十時頃いつもの例により同校事務室で会計事務の整理をしていたが、被告両名はこの時覆面して右事務室に侵入し、原告の前後に迫り、原告に対しピストルを突き付け「金を出せ」と申し向けて脅迫した。
原告は被告両名のこの共同不法行為により非常な精神的衝激を受け意識が朦朧となると共に、右半身不随の症状を呈するに至り、その後七十余日を経過し漸く杖に縋つて跛行し得る状態にまで回復したが、肉体的、精神的労働能力は全くこれを失い今日に至つている。(被告両名のこの不法行為はいずれも東京家庭裁判所少年部の審判により確定されている。)
二、原告の損害
(一) 有形(財産上)の損害
(イ) 原告は被告両名の不法行為により前叙のように意識朦朧、半身不随となつたため特別に滋養物を摂取する必要を生じ四千円の特別支出をしてこれと同額の損害を被つた。
(ロ) 原告は被告両名の不法行為当時保善高等学校に奉職し、一万三百四十円の月給を支給されていたが、原告は当時六十歳で十六年六ケ月の余命を有し(総理府統計局編集の簡易生命表参照)、その可働年数は七年と見らるべきものであつたから、その間に受くべき月給を中間利息を年五分としてホフマン式計算によつて算出するとその額は七十三万六千八百五十円となる。故に通常の事態であれば、原告は被告両名の不法行為によりこの七十三万六千八百五十円の得べかりし利益を失いこれと同額の損害を被つたものといいうるのであるが、原告は老年でその月給は年と共に減少するものであり、又一方原告は前記の可働年数の期間中実際には学校に勤務せず被服等が節約されこれが原告の利益となるから、原告の得べかりし利益を失つたことによる損害額は、右月給の減少額及び被服等の節約による利益金の額を合計三十四万八百五十円と見積り、これを前記七十三万六千八百五十円から差し引いた残額三十九万六千円とするのが相当である。
(二) 無形(精神上)の損害
原告は被告両名の不法行為により意識朦朧、半身不随となり労働能力を失つたのであつて、その不法行為によつて原告の受けた精神上の苦痛は容易なものではない。ところで、原告は明治四十四年東京高等商業教員養成所を卒業し、爾来教育界に身を投じ、東京都立京橋実業学校長等を歴任して保善高等学校に奉職するに至つたものであり、郷里の群馬県太田市に農地と山林を所有しているのであつて、その社会的地位、資産の点においてあえて人後に落ちるものではないが、家庭には妻と男子二人及び生活能力の低い弟妹二人があり生活上の余裕はないのであつて将来の不安におびやかされているのである。一方被告鶴田は昭和八年生の若年で、高等学校を卒業し東京都日本橋兜町にある坂右商店に就職して間もないのであるが、その父鶴田豊は開業獣医で盛業中であり、不動産をも所有しているのである。被告栗原もまた昭和八年生の若年で、なお青山学院大学文学部に在学中のものであるが、その父栗原松雄は大地主で多くの宅地、田、畑を所有し、且つ月五千円以上の軍人恩給の支給を受けているのである。よつて、以上諸般の事情を斟酌し被告両名は十万円を以つて原告の精神上の苦痛を慰藉すべきものと信ずる。
三、結論
以上の次第であるから被告両名に対しその共同不法行為を原因として、前記二、の有形、無形の損害金合計五十万円とこれに対する訴状が被告両名に送達された後の昭和二十九年十月十日からその支払の済むまで年五分の民事法定利率による遅延損害金の連帯支払を求める次第である。
と述べた。(立証省略)
被告両名はいずれも「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、原告主張の一、の事実については、原告が被告両名の不法行為により精神上の衝激を受け意識朦朧、半身不随となり労働能力を失つたとの点を否認し、その他(被告両名が原告主張のような不法行為をしたことを含む)は認める。同二、の事実については、原告の経歴、社会的地位、資産、家庭の状況に関する点は知らず、その他は争う。と述べ、被告栗原は更に、同被告は青山学院大学第二文学部英文科の夜間に在学中のものである。なお、父の栗原松雄は大地主でもなければ、月五千円以上の軍人恩給の支給を受けているものでもない。その恩給は年額一万五千円か二万円位のものである。と述べた。(立証省略)
理由
原告主張の一の事実は、被告両名の不法行為により原告が精神上の衝激を受け意識朦朧、半身不随となり労働能力を失つたとの点を除いてすべて(被告両名が原告主張のような不法行為したことを含む)当事者間に争がない。
よつて原告は被告両名の不法行為による精神上の衝激のために意識朦朧、半身不随となり労働能力を失つたものであるか否かについて按ずるに、精神上の衝激により右のような結果が生ずる場合にはその結果は通常衝激の直後に生ずるものと考えられるから、衝激が与えられた時と右のような精神的、肉体的故障の生じた時との間に一週間以上も経過しているような場合には、適確な証拠のない限り両者の間に因果関係を認めることはできない。本件についてこれを見るに、証人倉片勉、金子栄の各証言の一部と原告本人尋問の結果とを総合すると、原告は昭和二十六年十一月二十日の夜被告両名にピストル(玩具のピストル、そのことは前示倉片の証言によつて明瞭である。)で脅迫されて後も同月三十日までは何回も警視庁や淀橋警察署に出頭して係官の取調に応じ、取調のない日は学校にも出勤していたこと及び原告が弁体に異状を覚えるに至つたのは同月の末か翌十二月の初であり、その頃医師林田豊次の診察を受け神経衰弱性脳動脈硬化症と診断されたことが認められ、これが反証はないから、たとえ原告が被告両名の不法行為により精神的衝激を受け、その後において意識朦朧、半身不随を生じたとしてもその間には一週間以上の間隔のあつたことが明瞭である。しかるに、本件を通じて右の衝激と意識朦朧、半身不随との間に因果関係のあることを認めるに足る適確な証拠はないから、その両者間には因果関係ありとすることはできない。
して見ると、原告の本訴請求中、被告両名の不法行為により原告意識朦朧、半身不随となり特別の滋養物を摂取する必要を生じたことを前提として四千円の損害金を請求する部分及び原告が労働能力を失つたことを前提として三十九万六千円の損害金を請求する部分は他の判断を待つまでもなくその理由のないことが明瞭であるが、被告両名の本件不法行為が原告の意思を抑圧し自由を侵害したものであることはその行為の性質上疑のないところであるから、被告両名はこれによつて原告が被つた無形の損害を賠償する義務すなわち精神上の苦痛を金銭を以て慰藉する義務を免れることはできない。よつてその慰藉料の額について按ずるに、原告本人尋問の結果によると、原告は、先に東京高等商業学校教員養成所を卒業し、京橋実業学校長等を歴任し、昭和二十一年から保善高等学校に教諭兼会計主任として奉職していた(原告が昭和二十一年から保善高等学校に教諭兼会計主任として奉職していたことは当事者間に争がない)ことが認められ、また一方、その外観が毎日新聞となつているから真正に成立したものと推定すべき甲第十三号証(被告栗原との関係では成立に争はない)によると、被告両名は本件不法行為当時はいずれも高等学校在学中の十八才の少年であつて、遊興費欲さに映画「覆面二挺拳銃」に影響されその不法行為を行つたものであることが認められる。よつて当裁判所は以上認定の原告の経歴、社会的地位と被告両名の本件不法行為当時の年齢及び被告両名がその不法行為を行うに至つた動機を斟酌して本件慰藉料の額は三万円が相当であると考える。原告は本件慰藉料額の決定に当つて斟酌さるべき事情として他の多くの事情を主張しているが、当裁判所はそれらの事情は本件事案では慰藉料額の決定に影響ないものと考えるからこれが有無に関する判断は省略する。
よつて、原告の本訴請求中被告両名に対し前段認定の慰藉料三万円とこれに対する訴状が被告両名に送達された後であることが記録上明白な昭和二十九年十月十日からその支払の済むまで年五分の民事法定利率による遅延損害金の連帯支払を求める部分は正当として認容し、その他は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条、第九十三条第一項、仮執行の宣言につき同法第百九十六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 田中盈)